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江原光太の検証を

江原光太はいろいろな雑誌に関わってきたが、自ら主宰した雑誌も多い。

1、ろーとるれん(1972~1977) 全9号
2、猪呆亭通信(1983~1997)通号は5号まで その後は号外として刊行 全14号(と思う) 
3、獏 すぐ改題して2号より 面となり通算20号(1988~1994)
4、妖(1994~1997)全10号

こうした個人誌のような雑誌を見てみたいと6日(稚内行の前日だね)、配達の帰りに文学館へ行ってきた。時間があまりなくざっとしか見ることができなかったが、興味深い記事がいくつもあった。めぼしいものだけコピーしてきた.

これは後で気がついたのだが、コピーをそっくり忘れてきてしまったんだよ。ボケ老人にはありがちなことだから、そんなに気落ちしなかったけどね。

稚内から帰ってそろそろコピーを整理しておこうと思ったのだが、いくら探しても見つからないのだ。でも、まあ、文学館に忘れてきたのだから、取っておいてくれているだろうと電話して聞いてみると届いていないといわれ、ガックリ。それで、定休日のきょう、もう一度行ってきた。

そうしたら、たなかよしゆき、鳥越ゆり子のふたりも「面」に詩を何回か寄稿しているので嬉しくなった。しかも、一度は江原はふたりの家に泊めてもらってもいる。およそ、性格は両極端のように思えるが、どういう会話を交わしながら酒を呑んだのだろう。

期待していた川崎彰彦は残念ながら寄稿はしていなかった。ただ、「山魚狗」に書いた詩を転載されたことはある。同じように三輪正道さんの『オルガンの響き』の書評も「面」に転載されていた。このなかに江原光太が京都の「ほんやら洞」で詩の朗読をしたとき、三輪さんは聴きに行ったそうだ。

同じ北海道にいながら川崎彰彦を通じて改めて江原光太を知った当方としては甚だお恥ずかしい。言い訳させてもらうと、江原光太という名前は昔から知っていた。高校生のころや浪人のとき、江原は札幌ベ平連の活動をしていた。そのころ、30歳以上のオトナは信用するなというテーゼの信奉者だったからね、いいオヤジがしゃしゃり出てくるなよと反発を覚えてしまったんだよね。それが頭にあって、胡散臭いヤツと敬遠してきたんだよね、困ったもんだ。

年譜によると1971年に創映出版を立ちあげ、詩集を中心にした出版を始めている。直木賞作家の藤堂志津子も最初は詩を書いていて、本名(熊谷政江)で詩集を何冊か出しているはずだ。創映出版の刊行目録も含めた江原光太の仕事をだれか検証してくれないものか。
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