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関西の雑誌力

林哲夫の「スムースの作り方」を読んでいたら、そこに意外な名前を見つけちょっと驚いた。

いまや伝説的な雑誌ともいわれるsumusだが、その成り立ちと終刊までを実質的な編集長だった林哲夫が書いたものだから、興味津々の“事実”が語られていてとても面白い。この文章はこれまた伝説になりつつある雑誌CABIN(中尾務編集)7号に発表されたもの。

sumusの前身にARE(アレではありません、アーです)があることは知っていたが、その前にもうひとつBRACKETがあることは知らなかった。林はそれぞれの性格をこう書いている。「詩人が中心の『BRACKET』から詩人と本好きが相半ばする『ARE』へ移り、いよいよ書物とその周辺に絞った雑誌を作る機が熟したわけだ」。もちろん最後が「sumus」である。

この最初のBRACKET―意味を調べてみると印刷用語で角形括弧のことらしいーの創刊号の奥付に記されている6人の編集人は、松本衆司、村岡真澄、岡崎武志、松村信人、花田知三冬、堀論とあり、このなかの花田知三冬に反応したのだ。やっぱり、花田さんもいろいろやっていたんだな。花田さんは、文芸誌「海浪」を一人で出し続けたひとだ。ここに川崎彰彦は短篇小説を6篇、「ぼくの早稲田時代」の連載(27回)をしている。そうそう、連載の小説が間に合わず「遅刻の理由」という言い訳らしくないエッセイも書いていたっけ。

BRACKETの創刊は1987年の8月。一方、「海浪」は1982年8月創刊で、87年8月には第17号を出している。そこに岡崎武志が「カンフル剤としてのプライド」を書いている。BRACKET創刊編集委員として親しくなったのだろうか。その後も岡崎は同誌に何回も書いている。肝心のご本人、花田知三冬名義での同誌への登場は第39号(95・9)が初めてだから、自分の作品を発表するために「海浪」を創刊したわけでないようだ。ただ、〈酒仙童〉だとか〈酒精滴〉といった名義で書いた戯文は、花田さんだろうと思うけどね。残念ながら現文は未読。

話を戻すと、sumusという雑誌はやはりすごい雑誌だった。林哲夫は「厚顔を承知で断言すれば、『sumus』はひとつのムーヴメントだった。この調子なら『本の雑誌』のような道をたどることも不可能ではなかった。しかし、それは最初から林の念頭にはなかった(岡崎・山本がどう考えていたのかは別として)。10号で大団円にしたい、スタート時からそう考えていた。ただ、あまりに周囲の反応が良いので、止めるに止められなくなり、もう少し続けようかということで三冊分余計に編集するはめになってしまったのである」と書いている。

「海浪」「ARE」「sumus」「ブッキッシュ」「CABIN」こうして誌名を並べるだけで関西の底力を見る思いがするなあ。そうそう、編集工房ノアの「海鳴り」もここに加えていいだろう。
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