PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

『「悪い仲間」考』 続き

安岡章太郎の『悪い仲間』を中心とした“順太郎物”に出てくる“悪い仲間”にはそれぞれモデルがいることはよく知られている。古山高麗雄、佐藤守雄、倉田博光、高山彪、石山皓一らであるが、青木正美は佐藤守雄の『曲がり角で―若いころの安岡章太郎・古山高麗雄たちとの交友に触れてー』を古本屋らしく偶然に市で入手し(自費出版本だからめったに現れない)、これを読んだことから「悪い仲間」その後、といったものを書けないかと、奥付に記載されていた佐藤守雄に電話して交流が始まる。

安岡章太郎一括資料にあった佐藤杜夫名義の「駿台ハウス」原稿は、佐藤守雄のものであることが判り、ちょっとがっかりするが、この作品が安岡の「サーヴィス大隊要員」のタネ本になっていることを知る。その後も佐藤守雄を通して石山皓一の『死にゃあいいんだよ物語』を贈られ、石山皓一からも電話で話を聞くようになる。

石山は安岡とは慶応の予科時代の「悪い仲間」だから浪人時代を舞台にした作品には出てこない。同人誌「青年の構想」「青馬」の仲間であり、予科時代のことを書いた作品に石山は頻出するのだが、その書き方に石山は安岡の悪意を感じ次第に疎遠になっていく。

『死にゃあいいんだよ物語』には、昭和31年に河出書房「文藝」編集部で撮った安岡章太郎、古山高麗雄、石山皓一の写真(土門拳撮影!)は奥付の前に、つまりお終いのページだ、にある。これが青木正美の『「悪い仲間」考』の表紙に模写された原版だ。

安岡が「ガラスの靴」(原題は“ひぐらし”)を書いたとき、石山皓一が奥野信太郎に見てもらおうと安岡を伴って訪問している。奥野から北原武夫に原稿が渡り「三田文学」掲載となったわけで、石山はある意味、作家・安岡章太郎生みの親といっていいだろう。

青木は石山から古山高麗雄を紹介され、電話をするようになる。古山も安岡とは絶交状態であることを聞き、青木は『「悪い仲間」その後』を書きたいと思うようになる。古山と安岡の「悪い仲間」復活とはならなかったことをぼんやり知っていたが、絶交状態というのは初めて知った。古山は「『朱』の意識」にこう書いている。

―私小説と言っても、安岡の私小説には、こしらえた部分が多く、従来のこの国の私小説とは違っている。彼の小説では、私たちは、モデルあるいはヒントになっていて、奇態で滑稽な人物に書かれている。存分に揶揄され、笑い者にされている―

こうした文章を読めば、たしかに古山は安岡に対し深い怒りを抱え込んでいたことが判る。そうしたことが判ってくると、青木正美の安岡章太郎像は、悪くなっていく一方だった。それをどう青木は書いたかはここには書かない。

いずれにしても佐藤守雄や石山皓一の著作は安岡章太郎研究には必須の文献といっていいだろう。石山の『戦末派青春交友日記』も含めて全部持っていたが、この『戦末派青春交友日記』だけは注文がはいって売ってしまった。小沢書店からでていたので、これはまた見つかるだろうと思ったが、これもやはり自費出版(300部)だったという。それ以来、残念ながら見かけない。
スポンサーサイト

| 未分類 | 13:50 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。