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『死もまた愉し』を読む

仕事の合間に読んでいるのは、常盤新平の未刊行エッセイ集第3弾の『いつもの旅先』。短めのエッセイが多いので具合がいい。それにしても幻戯書房はここ数年いい本をだしてくれるなあ。定価がちょっと高めだが、これは部数を考えると仕方ないか。「愛読書」というエッセイには、結城昌治の『死もまた愉し』を取り上げていて、読んでいると無性に読みたくなる。「不思議に楽しい本で、私は気がめいったときなど本棚から抜いては拾い読みしている」と書いている。タイトルといい、常盤さんも、死について語った本が不思議に楽しいというのだから、これは、読んでみたいとおもうじゃないですか。こういう風に思わせるのが常盤新平の芸なんだよな。

結城昌治は一時凝った時期があり、たしかこの本も持っているはずだと思い出す。買ったもののこれはまだ読んでいない。ちょっと見てみたいが、問題はどこにあるかだ。この本の刊行年月なんぞを調べたり、これは新刊ではまず買わないから古本だろう、などとあれこれ考えたり類推して、これはサラリーマン時代に買ったに違いない、そうなると自宅ではなく店にあるはずだ。選択定年で辞めたときは単身赴任だったから、溜りにたまった本を自宅には置き場所がなく、オヤジの店舗に直接持って行ったはずだから、店のどこかにある筈だ。そうであるなら探索もまだ容易だ。

よし、まずあそこから探してみようと行ってみると、なんと10分ほどで発見。なんとも気持ちがいい。読みが見事に当たっていたのだ。オレはフロストか。こんなことはまずありえない。ぱらぱらやるとこれがたしかに本当に面白い。これは還暦を過ぎたいまだから、しみじみと結城昌治の言葉が素直に身に沁みてくるのだろう。50代ならまだ死は他人事だったものな。

若いころの結核療養所での俳人石田波響や福永武彦との交友がその後の結城昌治をつくりあげたのだな。句集2冊も収録されているのは、そういうことだったのかと首肯できた。
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