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ブブノアさんと「マヴォ」

川崎彰彦の『ぼくの早稲田時代』を読んだひとはお判りのように、川崎は4年で卒業できず、4年生を2回するのだが、ドッペった最大要因は露作文の単位を落としたことにある。担当教官はワルワーラ・ブブノアというロシア人の女性で、もともとは画家だったひとだ。川崎彰彦はこのブブノアさんをこう書いている。

 ―オリガ先生は小柄な、青い瞳をもつ可愛らしい初老のおばあちゃんだった。ペテルブルグの貴族か大きな商人の家庭に生まれた令嬢だったが、一九二○年代、革命の祖国を逃れて、日本に亡命してきた。(略)オリガは来日後、村山知義らの前衛画家グループMAPOに属したりするが、やがて国画会のオリガ・プチツエヴァとして定着するー

小説だから登場人物などは変えてあるが、このオリガ先生がワルワーラ・ブブノアであり、村山知義らの前衛画家グループは「MAVO(マヴォ)」である。このことを読み流して記憶に残っていなかった。そもそも「マヴォ」という村山知義が作ったグループを知ったのは、高見順『昭和文学盛衰記』であり、この「マヴォ」というのはモダニズム系の文学・詩のグループという頭があったから、「前衛画家グループ」とは思っていなかったんだよね。それにしても、前衛画家グループのなかに詩人の尾形亀之助がいるのはなぜなのだろう。尾形もその頃は絵を描いていたのだろうか。

最近、宮川さん→中尾さん経由で新たに得た川崎彰彦資料のなかの、ブブノアさんの死を悼む文章を読み(1983年5月電波新聞)、ちょっと気になったので、改めて『ぼくの早稲田時代』と高見順『昭和文学盛衰史』を該当部分を読みなおしてみた。前著は先に引用した部分だが、「マヴオ」の由来については後著を見てみると

 ―村山知義、尾形亀之助、柳瀬正夢、大浦周蔵、ブブノヴァの五人がおのおのの名前をローマ字で書いて、一字一字に切ったその紙を掌から吹き飛ばして、遠くに落ちたものから拾って、字をあわせるとMAVOとなった―

このVがブブノヴァ(ブブノア)なんだね。村山は東大哲学科を中退して、ドイツへ渡り、「ときあたかも表現派の全盛時代であったから、たちまち眩惑的な新興絵画運動に魅せられて、画を描くことに熱中した。そしてタトリンの構成派等の新傾向も貪婪に吸収して、滞欧一年で帰国、(略)日本の画壇に爆弾を投げこむようないわゆる最尖端の芸術運動を始めた。(略)かれは文学にも運動を及ぼすため、詩人を含めての『マヴオ』を結成した」とあり、疑問点が解けた。

ブブノアさんをもう少し知りたく検索していたら、『ブブノアさんというひとー日本に住んだロシア人画家』という本が1988年に群像社から出ているのがわかった。残念ながら図書館(市立も道立も)には置いていないので、やむなくネット古書店に注文した。
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