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「マヴォ」もう一回

6月20日に書いた「マヴォ」の由来だが、これは高見順『昭和文学盛衰史』の村山知義 が戦後(1951年)に書いたものの孫引きなのだが、これはどうも村山の与太話だったようだ。

井出孫六の『ねじ釘の如く―画家・柳瀬正夢の軌跡』を読むと、柳瀬はいつも持ち歩いていたスケッチノートに日記も書いていて、これを井出は「絵日記」と称しているのだが、それによると「MAVO」が結成されたのは、1923年6月20日のことだという。そこにはこう書いている。

ー皆俺の行くのを待ってゐてそれから議事を進めて行った。門脇君を加へて五人、会名は俺の名付けの『マヴォ』と決る。(後略)ー

この5人というのは、門脇吾郎、村山知義、大浦周蔵、尾形亀之助、柳瀬正夢である。そうであるなら、ブブノアさんは発足時からメンバーではなく、その後に加入したようだ。

高見順『昭和文学盛衰史』(角川文庫版)にも、村山知義起草の「マヴォ宣言」が写真入りで掲載されている。文字ははっきり読めないが5人の氏名は漢字ばかりでブブノアのカタカナ名はない。

「マヴォ」の由来は柳瀬自身も何も書いていないし、聞かれても笑って答えなかったようだ。井出は佐々木孝丸説と小牧近江説二つを書きとめているが、小牧説を書いておこう。

―MAは文字通り大衆、労働者階級としてのmassesであり、VOは一斉射撃としてのvolee(最初のeにアクサン・テギュ)からとった―

というもの。「労働者階級からの一斉攻撃」か、なるほど。この説は柳瀬正夢の経歴を考えると説得力がある。
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